2018年12月訪問
やっとで一年越しで友ヶ島に行ってきました!!
この日は12月23日(日)、24日(土)の連休の為、カップルばっかし!
アクセス
和歌山の加太にある加太港から友ヶ島行きの船が出ています。
加太駅 → 徒歩(約20分)
→ 加太港
大人 往復 2200円
子供 往復 1100円
運休 水曜日
毎朝8時頃、友ヶ島汽船のブログでその日の運航状況がアップされます。
船が出るのか、欠航なのか確認することができます。
荒天の為欠航の日もあるので確認してから行きましょう!
帰りの船の時間もチケット売り場に書いてあります。
臨時便も出ることがあるので、しっかりと見ておきましょう。
夏季と5月連休時は通常ダイヤのほかに往復3本増便されるほか、イベント開催時や積み残し発生時などには突発的に増便されることもあります。
船は『ともがしま号』と『ラピュタ号』の2種類あります。私はともがしま号に乗りました。
2016年までは「ともがしま」1隻のみでの運航でしたが、2016年4月頃より、「ラピュタ」を新たに就航させ、2隻体制での運行となっています。
加太港 → 船(20分) → 友ヶ島
友ヶ島とは
紀淡海峡に浮かぶ南国の別天地、友ヶ島は、地ノ島、虎島、神島、沖ノ島の総称名です。
かつて一般の人々が立ち入れなかった友ヶ島には、軍が作ったラピュタを想像させるような砲台跡がありのままに残されています。
友ヶ島は第2次大戦の旧日本軍の軍用地であり、島内には砲台跡のほか紀伊防備隊の海軍聴音所、弾薬庫など大戦中の施設も多く残されています。
友ヶ島に到着!船を降り、野奈浦桟橋を渡ります。ここが友ヶ島の玄関口です。
桟橋前に広がる広場を野奈浦広場といい、クロマツが立ち並んでいます。
ここから砲台跡を目指して一人黙々と歩いていきます。向かう途中で倒壊しかけの建物を発見しました。
ロープが張られており、入れなくなっています。
友ヶ島にはかつていくつかの旅館や海の家があったようなので、もしかしたらそのうちの一つかもしれません。
海の家(うみのや)
宿泊施設がありました。今現在友ヶ島にある唯一の宿です。
食事やBBQもできる宿になっており、二階で宿泊する事もできます。
毎年4月~11月しか営業してないので注意してください。
第5砲台跡を目指して、山へ入っていきます。
ダム発見。
光の差し込み具合が神秘的。
第5砲台跡につきました。
第5砲台跡
第5砲台は、一番新しい砲台であり、第3・第4砲台の死角となる野奈浦方面や、当時沖ノ島の中心部であった北側エリア(兵舎、発電所、弾薬庫など砲台以外の軍事施設が集中していた)を守るために、明治37年(1904年)に造られました。
島の西側に配置され、他の砲台と比べると小さめとなっています。
あまり観光客に知られていないスポットの為、ゆっくり見たい方にはおすすめです。
第5砲台跡を後にし、進んでいくと廃旅館を発見。
観光旅館『富士屋別館』
友ヶ島で最も古い旅館だったらしく、今はベニヤ板を打ち付けられ入れなくなっています。
富士屋本館は、友ヶ島ではなく、船乗り場がある加太にあったそうです。
開館したのは2011年4月ですが、いつ閉館したのかは確認できませんでした。昔はここも活気があったのかと思うと、寂しい気持ちになります。
客室:12室
収容人数:宿泊60名
宴会:120名まで
ここで軽食を食べることができたみたいです。
ペットボトルが200円!
野奈浦広場に稼働中の自動販売機がありましたが、そこも200円だった記憶があります。
向かいにも建物があります。
食堂だったという情報もありますが定かではありません。
レトロ感満載の有料脱衣所とホットシャワーがあります。
海水浴をした人がここでシャワーをあびて着替えていたのでしょう。
扉は木の板や棒で封鎖されていて開けることはできません。
蛇口が外されています。
第2砲台跡に向かいます。
第2砲台跡
第2砲台は、紀淡海峡を通過し大阪湾に侵入しようとする敵艦に対して真横から砲撃を加えるべく設置された「要撃砲台」であり、終戦後に爆破されています。
台風の波風などで浸食され壁が崩れ落ち、危険な状態であるため、立入禁止となっています。
狭い海峡部などを通過する敵艦を待ち伏せて射撃することを目的としたものです。
友ヶ島灯台
登録有形文化財(建造物)にも登録された明治5年(1872年)にできた洋風建築の灯台です。
現在も紀淡海峡の道しるべとして稼働しています。
すぐ近くにある第1砲台に向かいます。
第1砲台跡
第1砲台は、紀淡海峡に面する友ヶ島西端の断崖上にある同地区最初の砲台であり、友ヶ島―淡路島間を通過する敵艦を砲撃することが目的となっていました。
現在は、友ヶ島灯台に隣接している第1砲台ですが、砲台ができた当時は灯台の位置が今とは違い、第1砲台からの砲撃の邪魔になるとのことで、灯台の位置を現在の位置に移転させたという逸話が残っています。
第一砲台跡の入口です、扉は閉ざされています。
第一砲台の観測所跡
この観測所から海峡を見つめ、敵艦の位置を把握し、砲弾発射角度の指示を出していました。
孝助松海岸
孝助松は、船が難破したが親孝行の男が一人だけこの松の木にひっかかって助かったという言い伝えのある松の木です。
旧海軍聴音所跡
大阪湾に進入する敵の潜水艦の音を24時間体制で警戒し、海中の音を聞き分けることのできる施設だそうです。
正式名は「紀伊防備隊友ヶ島衛所」
低い位置にあると思いきや、山の上の高い場所に位置しています。
聴音所跡を後にし、友ヶ島の一番のスポット、第3砲台跡にやってきました。
第3砲台跡とは
第3砲台跡は、友ヶ島における最主力砲台であり、島内の他の第1・第2・第4・第5砲台とともに、明治政府が紀淡海峡防備のため、由良地区(淡路島)および友ヶ島・加太・深山地区(和歌山市)に築造した由良要塞の一つの砲台です。
6か所ある砲台跡の中で一番最大の規模です。
すり鉢状の砲座から360度の全周射界をもっていたことや、独自の発電所や看守衛舎があったことも特徴的です。
この地下施設には、砲弾貯蔵庫や揚弾装置などが設けられており、実際に見学することができます。
第3砲台跡は中に入ると真っ暗な為、懐中電灯を持っていくことをお勧めします!
第3砲台跡近くにレンガ造りの家を発見。
本島要塞の駐屯将兵が生活した宿舎だそう。
発電所跡
次が最後の建物です。
探照灯跡(たんしょうとうあと)
今でいうサーチライト。
探照灯とは島に飛来する上空の敵機に強いライトを当て迎撃する砲の照準を定めるためのものです。
第2次世界大戦では特に航空機による夜間爆撃に対する防空手段として照空灯は広く使われました。
弱点は、点灯中は光源が非常に目立つために直接照射されていない敵からほぼ確実に集中攻撃を受けることですが、これを逆手にとって照射をおとりとして使うこともあったとされます。
最後にある第4砲台跡は立ち入り禁止となっており、行くことはできませんでした。残念。
まとめ
島に降りた瞬間から廃虚感満載の島でした。
山の中を歩いて砲台跡をまわりますが、特に危険な場所もないため、運動靴を履いていれば特に気を付けることはないと思います。
連休の時は観光客が多く、船にも乗るのも難しくなります。砲台跡を見る時も人ががたくさんいるため、ゆっくり廃墟感を楽しみたい方は平日に行くことをおすすめします。
ラピュタを見たことが無い為、ラピュタ感があったかはよく分かりませんが、廃墟好きな方にはおすすめの島で、最初から最後まで楽しめる島でした!!