2020年3月訪問
浅野祥雲のコンクリート像がある3大名所のうち、2つを訪れることができました!コンプリートまであと1つだ~!!
五色園は大安寺の敷地ですが、一般の方も無料で入ることができますよ♪
愛知県 桃太郎神社(2019年11月訪問)
愛知県 五色園(2020年3月訪問)←new
岐阜県 関ケ原ウォーランド(未訪問)
アクセス
地下鉄東山線「名古屋」駅から「星ケ丘」駅下車。
名鉄バスに乗り換え「五色園」下車
五色園とは
五色園(ごしきえん)は、愛知県日進市岩藤町にある日本で唯一の宗教公園です。
公園内には大安寺があり、大安寺初代管主が尾張丘陵内の約20万坪を買い取り、多くの人の助力とともに大宗教公園として整備したものです。
浄土真宗で知られる親鸞や法然、蓮如等の生涯や教えを視覚的に感知させることを目的とした塑像が100体以上設置されており、五色園ではコンクリ像を使って逸話や偉大さをわかりやすく再現しています。
像の作者は、コンクリート像作家として知られる浅野祥雲の作品です。(Wikipedia参照)
五色園とは、日本唯一の「宗教テーマパーク」「宗教公園」だったのです。
至る所に像が配置されており、全ての像を見るのにはすごく時間がかかり、長い距離を歩かなければなりません。
車でまわることも出来ますが、歩道からずれた林の中に像がある場所もあり、徒歩でまわるのが一番ベストだと思います。
月見の宴
親鸞の幼少期の場面です。
2歳になっても全くしゃべらなかった親鸞は、とあるお月見の宴の席で、突然両手を合わせ「南無阿弥陀仏」と呟いたのです。
初めてしゃべった言葉が「南無阿弥陀仏」!!なんちゅーガキや!
ちなみに赤い服を着て、父の膝に座っている子供が親鸞です。サンタクロースかよ。
進行両座
法然が日頃の自分の教えを、弟子たちに確認する場面です。
弟子たちにした問いとは『阿弥陀仏の本願は念仏を称えたら助けるという誓いか、信心一つで救う誓いか』というもので、2つの席に分けて、自分の考えを示すほうに座らせます。
多くの人が迷った末に行を、ごく一部だけが信を選んだ後、最後に法然が信を選び、行の座を選んだ弟子が自らを恥じたという場面。
「信不退の座」と「行不退の座」が設置されたので、「信行両座」といわれています。
そこに遅れてやってきた熊谷蓮生房。
あわてすぎて下駄が脱げています。ちなみにこの蓮生房も信の座を選びました。
赤山明神貴婦人解逅
これは親鸞が26歳の頃の場面。
比叡山に向かう途中の赤山禅院をお参りしていたとき、美しい女性と出会います。
美しい女「私も一緒に比叡山に連れて行って」
親鸞「神聖な比叡山を女性が登ることは禁止されてるからダメだよ」
美しい女「なんでよ。差別のない仏教に変えてよ。」
といい夜道を照らす光の玉を手渡し、女はスーッと消えた。という場面だそうです。親鸞はこれに大きな影響を受けたとのこと。
桜ヶ池大蛇入定の由来
浄土宗を開いた法然上人の師が、五十六億七千万年後に現れる弥勒菩薩様から教えをいただくため、長生きすると言われている長寿の龍(大蛇)に姿を変えたという場面。
御田植
親鸞が田植えの季節に念仏布教の足を伸ばした際、農民は田植えに勤しみ、親鸞を相手にしなかったのです。
すると親鸞は衣の裾をあげ泥田に入り、念仏しながら田植えを始めたところ、村人たちもいつしか親鸞と一緒に念仏を唄いました。というお話。
不動明王尊
滝の上の不動明王尊像。
縁結び弁財天女
池の真ん中に浮かぶ弁財天。
鈴虫松虫の剃髪得度
念仏に魅せられた後鳥羽上皇の女房・鈴虫と松虫が、御所を夜逃げして出家するシーン。
2人は親鸞の教えを聞いて出家してしまいました。
彼女たちを親鸞に取られたと後鳥羽上皇が怒って親鸞たちを流罪に。
川越の名号
旅の途中雪に見舞われ日が暮れてしまい仕方なく扇屋さんに一晩泊めて欲しいとお願いした親鸞。しかし扇屋夫婦は軒下なら勝手にするがいい!と戸を閉めてしまう。
軒下で厚く礼をいい念仏を唱えながら朝を待つ親鸞に感激し、念仏のとりこになった夫婦。
親鸞が出発し川を渡ってしまった後も別れを惜しみ、妻に形見をと親鸞にお願いすると向こう岸から親鸞は指で宙に字を書きました。
すると白紙だったはずの妻の持つ紙に「南無阿弥陀仏」の文字が浮かび上がったのです。
肉付の面
大の仏法嫌いである老婆は、鬼の面をかぶって信心深い嫁を脅かしますが、どういうわけか鬼の面が外れなくなってしまいました。
しかし、蓮如上人のありがたい教えに思わず手を合わせ念仏を唱えると、鬼の面はポロリと取れたのです。
板敷山 弁円狙撃
山越えをする親鸞一行を弁円(べんねん)一味が襲撃しようとする場面を丘の斜面を利用して再現しています。
弁円悔悟
親鸞を殺害しようとして失敗した弁円たちは、親鸞の人徳に接して改心して謝罪。親鸞の弟子となったのでした。
ひれ伏し懺悔する弁円
日野座衛門門前石枕
親鸞聖人は布教の途中、金貸しの日野左衛門に一夜の宿を頼みますが、断られたので軒先で夜を明かすことにしました。
するとその夜、日野左衛門の夢枕に観音様が現われ、親鸞聖人をお世話するように言います。
日野左衛門は慌てて親鸞聖人に謝り、聖人をもてなすという場面。
夜盗耳四郎聞法の場
日々悪事を重ねている耳四郎という大強盗がいました。
ある日、京都の白河御殿の下に忍び込み、縁の下で夜の更けるのを待っていました。
ちょうどその夜は、法然の法話がこの白河御殿で開かれる日で、集まった人々は法然から御仏の慈悲の話を聞き感涙してました。
この話を聞いた耳四郎は、自分の醜い心や罪深さを顧み、夜が明けると縁の下から出てきて、法然に悪行の数々を打ち明けました。
強盗をする生活から足を洗おうとしている耳四郎の態度を苦々しく思った仲間は、耳四郎の寝込みを襲い殺そうとしました。
刀を振りかざすと、寝ている耳四郎がいつの間にか金色の仏様になったのです。これは耳四郎が唱えた念仏の力だったのです。
そして二人の悪人は法然のもとで懺悔して弟子となりました。
箱根権現御饗応
関東より都へ帰る道中、箱根の山にさしかかっていました。
62歳の老体の親鸞の疲労は厳しく、夕暮れを迎え途方にくれていました。
そんなとき、鳥居の下で出迎える箱根神社の神官らの姿が。
「私、夢で権現様からお告げを聞いたのです。今ここを権現様が尊敬する人が通るので、持て成すようにと。」官主は親鸞を屋敷に案内し接待したのです。
先頭の人が親鸞。
身代わりの名号
平次郎は大の仏法嫌いで邪険な男でしたが、その妻おすわは親鸞聖人の教えを熱心に聞き求める信心家でした。
ある時浮気を疑った平次郎が妻を切りつけ、殺してしまい、竹やぶに埋めました。
しかし妻は死んでいなく竹やぶからは身代わりとなった血まみれの名号が真っ二つになって出てきました。その事から平次郎も念仏の行者となりました。
日吉丸矢作橋出世の緒
親鸞や仏教に関係ない戦国・矢作橋のシーン。
まとめ
五色園を訪れ、親鸞って誰?から、よくわからないけど親鸞ってとてもすごい!にレベルアップ。コンクリート像と、解説パネルにてその場面の説明がされています。
約2メートル近いコンクリート像は迫力がありますよ。
浅野祥雲ワールドを感じたい方は、ぜひ五色園へ!
五色園情報
名称 | 五色園 |
住所 | 愛知県日進市岩藤町一ノ廻間932番地31 |
TEL | (0561)72-0006 |
営業時間 | 午前8時から午後5時/年中無休 |
アクセス | 地下鉄東山線「星ケ丘駅」→名鉄バス「五色園」下車 |