廃墟

【廃墟】K鉱山栃洞

センダ
センダ
こんにちは。センダです!鉱山で有名だった今は廃墟と化したk鉱山に行ってきました!

2013年8月 2017年4月訪問

危険度

※この記事は2013年8月訪問時と2017年4月訪問時の写真を合わせて載せています。

K鉱山栃洞とは

栃洞とは鉱山で働く人やその家族が住んでいた場所です。ここでは昔、亜鉛や鉛、銀、銅が採掘され、鉱山の町として大変栄えていました。

鉱山最盛期には沢山の人が住んでいましたが、2001年6月の採掘中止に伴い住む人が減り、現在は廃墟となっています。

K鉱山栃洞坑の歴史

栃洞の歴史 出来事
1874年 三井組が鉱山経営開始
1895年 栃洞坑開通
1896年 栃洞小学校設立
1947年 栃洞中学校設立
1977年12月 栃洞保育園開園
1978年 栃洞中学校閉校
1983年3月 栃洞小学校閉校
1986年3月 栃洞保育園閉園
1992年11月 栃洞、ほぼ無人となる
2001年 鉱石の採掘中止

栃洞に向かう坂道手前に看板があり、この坂を15分程車で上ると栃洞が見えてきます。ちなみにここは熊や猿がでる地域の為、注意が必要です。

栃洞保育園



▲2013年8月撮影
まず栃洞につき一番最初に目に入るのは、栃洞保育園です。
正面から見ると一階建てに見えますが、実際は二階建てとなっています。1977年(昭和52年)12月開園。わずか9年後の1986年(昭和61年)3月に休園となりました。

ここは他の建物と比べて9年しか使われてないからか建物の保存状態がよく、未だに現役の建物として使えそうです。


▲2017年4月撮影
2013年訪問時には草が背まで生えていましたが2017年訪問時にはしっかりと管理されているようで、草も刈られていました。


この地域は冬に雪が降る為、玄関に除雪用のスノーダンプが置いてありました。栃洞に来る途中の下の地域でも雪は沢山降りますが、山の上にある栃洞はどれくらい降ったのでしょう。


この保育園は鉱山閉山直前にできた為、生徒数もあまりいなかったようです。


残留物もほぼなくガランとした部屋。多目的ルームとして使われていたのでしょうか。


昭和45年の新聞が落ちていました。保育園閉園の7年前の新聞です。なぜそんな昔の新聞がここに落ちていたのでしょう。


子供を乗せていたのでしょう。レトロなかわいらしいカートが置かれていました。


跳び箱がいくつも置いてありました。栃洞中学校が閉館する頃に保育園ができたため、中学校のお下がりだったのかもしれません。それにしても中学校が閉校になるのになぜ保育園を作ったのか不思議でなりません。



ここで園児たちの給食を作っていたみたいです。こんな大きな釜も最後のほうは少ない子供たちのためだけに稼働していたのでしょう。


卒園生の魚の記念品です。地下に降りる階段の横に飾られていました。
昭和59年卒園。現在だと40代前半くらいでしょうか。当時の園児は現在の栃洞を見て何を思うのでしょう。

栃洞小中学校


栃洞小中学校の跡地があります。建物は壊され、記念碑が建てられています。
最後は小学校も中学校も統合したみたいですが、栃洞に住んでいるうちはここから下の地域の統合した学校に毎日通っていたということになります。雪の降る冬なんて大変な事だったでしょう。

團結小屋 理髪店


▲理髪店(左)と團結小屋(右)


▲團結小屋内部

團結小屋とは、労働組合の本拠地として使われていた建物です。
理髪店はもしかして栃洞唯一の理髪店だったのかもしれません。こんな小さな理髪店でも当時は賑わっていたのでしょう。

コンクリートアパート


▲2013年8月撮影
コンクリートアパートへやってきました。
夏は植物が壁一面を覆っています。誰も住む人が居なくなったといっても、こんな風になってしまうのか!?とびっくりしてしまうくらい緑に覆われています。


▲2017年4月撮影
ツタが枯れると寂しく、近寄るのをためらってしまうような見た目になってしまいました。


よく栃洞のブログでみかけるトラを発見しました。いつもコンクリートアパートに来るときはこのトラを探してしまいます。


鉱石らしきものがありました。これは本物なのでしょうか?今も価値があるものなのかは分かりません。


トシナリルーム


このブレンディとは味の素グループから販売されていたコーヒーだそうです。なぜコーヒーの広告ポスターをとしなりは部屋に飾ったのか。かっこいいっちゃかっこいいが。


階段を上がって屋上に行くことができます。壁の塗装が溶けてつららのようになっていました。自然の力ってすごいですね。



▲2017年4月撮影
アパートの裏側。窓やドアがほぼ外れています。

コンクリートアパートを後にし、木造の建物にやってきました。



よく見る有名なサバゲーの黒板です。ここに書いてあるようにサバゲーをしにくる人がいるらしく、ビービー弾が散乱している建物もありました。



▲2017年4月撮影
外にはプールがありました。こんな囲いもない場所にプールがあって危険な気もしますが…。夏にはこの建物の住人たちが使用していたのでしょうか。または学生たちが使用していた地域のプールだったのかもしれません。


潰れた車庫。屋根の雪下ろしをしないと、この車庫のように残っている建物も潰れてしまう可能性が高いです。ここでやっとで坑口を目指して歩きます。坑口に向かう途中にも倒壊しかけの建物がたくさんありました。

坑口



山の上の為、4月でも雪が残っており、坑口から冷たい風がでてくる為、ここ周辺の雪は周りと比べて溶けるのが遅い気がします。
夏の暑い日にはこの冷たい風はありがたいですが、この寒さでは夏でもあまり長居はできません。

銀嶺会館


銀嶺会館(ぎんれいかいかん)。私がこの栃洞で一番好きな場所です。ここ銀嶺会館は体育館として使われたり、多目的ホールとして使用されていたそうです。なんと映画上映もしていたとか。

ここに大抵の歌手が来て歌を歌ってもらう事もあったみたいですが、美空ひばりだけは呼べなかったと聞いたことがあります。お金の問題なのか何なのかは定かではありませんが…。


入ってすぐ剣道の防具が出迎えてくれます。


▲2013年8月撮影


このくるくる丸まっているものは床に敷いていたものでしょう。剥がれたのか、剝がされて放置されているのか。しかし剥がす意味はあるのか?


▲2017年4月撮影
2017年に来た時は雪の影響で無残な姿となっていました。ステージが崩壊しています。こんなに崩壊していると次来た時にはもう中に入るのは難しいかもしれません。


黒板にはサバゲーマーや廃墟マニアの記念メッセージが書かれています。
他にも、栃洞で生まれ育った人達が廃墟になった栃洞を訪れて書いたメッセージも卓球台に残されていました。

この栃洞には何度も足を運んだ事がありますが、年々雪のためか崩壊が進んでおり、今現在建物がどれだけ残っているかもわかりません。
全盛期はたくさんの人がここで働き、生活していたこの場所は、今では完全に時が止まっているようです。

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